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2015.12.18

父が他界

10月下旬に父が他界しました。

ブログに書くことは考えてなかったんですが、同じような症状を検索してる人の目に止まって役に立てることがあるかもしれないので記しておきます。

父の様子がおかしいことを聞いてからネットで同じような症状を調べまくって、結局どれも違ってたんですよね( ̄ー ̄;

9月中旬頃、父が「足に力が入らない」と言うので整形外科へ。

レントゲンで異常がなく湿布をもらっただけ。

効き目がないので再診。

強めの湿布と、痛み止めの「リリカ」という薬をもらう。

この時、医師から「これで痛みが止まらなければ大きい病院の総合内科を受診してみて」と言われたそうです。

薬を飲み始めて5日目ぐらいに、父がトイレに行く際、母が買い物して袋に入れたままにしていた食材を手に取ったので母が「どうしたの?」と聞くと「これもらったから持って帰る」と、変なことを言ったそうです。

認知症か?でも突然症状が出るものなのか?と思い兄に相談。兄は「リリカ」という薬を調べ、稀に認知症のような症状が出ることを知る。

10月1日に総合内科受診。

認知症のような症状が出ているので脳に問題があるのではないかということ、リリカを服用していることなどを伝えると、医師は父に「朝は何を食べましたか」や「どうやってここまで来ましたか」などの質問をして、その後、手を前に出させて指を動かしたり、医師と同じ動作をさせてみたけど全て完璧にこなしたため「脳は元気ですよ、認知症ではなさそうです」と断定したとのこと。

母が「おかしな言動は何が原因でしょうか」と質問したら「薬の副作用の可能性が高いので飲まさないようにすれば元に戻ります」と言われたそうです。

10月9日に腰のMRIを撮ることになり予約して帰宅。

薬の服用をやめても言動は戻らず、排泄関係の粗相が増え、どう考えてもおかしい・・・と言うことで、9日に病院へ行って腰のMRIを撮ったあと、診察まで2時間近く待つ間に脳神経外科へ。

そこでCTを撮り、診察は午後からと言われていたのに、病院の食堂で何か食べようかなと思っていたら看護師さんが「すぐに診察室に来てください」と呼びに来たそうです。

そこで医師からは「多発性脳梗塞です」と言われ、即入院が決定しました。

頭部を写したCTを見た母と兄によると、黒い部分のほうが少なかったそうです。

入院着に着替えたあと、夕方には頭部のMRI検査。

父には「ちょっとおできがあって入院してもらいますね」と説明した医師ですが、父が看護師さんと病室に向かったあと母と兄に「腫瘍が無数にあって大変厳しい状態です」と告げたとのこと。

しかも、「よく倒れずに生活が出来てた。こんな酷いのは初めて見た」とビックリしてたそうです。

10日から12日まで連休だったので、その前に入院できたことは良かったと捉えていいと言われていたようですが、入院した翌日から日に日に症状が悪化。

点滴をしても自分で抜いてしまう、心電図の機械をつけても取ってしまう。何にも出来ないままだったので余計に症状の進行が早くなっていました。

連休明けの13日に全身のMRI検査。

15日に家族が呼ばれ、私も行ってきました。

退院したとしても介護が必要になるんじゃないか、介護認定を受けておこうよ…という会話をしながら待っていましたが、病状説明で医師がまず口にした病名は「肺癌」でした…

脳と思っていたので肺癌と言われてエッ?誰かと間違ってない?と思うぐらいビックリでしたが、更にビックリしたのは、肺癌は既に末期で、脳の腫瘍は肺癌が飛んだための「転移性脳腫瘍」とのこと。認知症のような症状は「高次脳機能障害」が起こっているからだそう。

宣告された余命は1ヶ月未満。

全身から血の気が引いた感じになり、横では母親が号泣していたけど私自身は多分無表情だったかと。

だから医師は私のほうを見て「このまま落ち着いて過ごせた場合でそれです」と言いました。「じゃあもし何かあれば…」と言いかけた私にかぶせるように「そうです、脳が腫れたり出血したり、何かあればそこで、です」と言い、母は更に号泣。

落ちつくまでシーンとしたロビーに座っていたら総合内科の医師が駆け寄ってきて母に「申し訳ありませんでした」と謝罪。

1週間早くわかったとしても末期は末期だったでしょうし…と答えていた母ですが、兄は「でも1週間前ならまだ点滴を自分で外すなんてことなかったんじゃないかな。少しは進行を遅らせることも出来たんじゃないかな」と不満げでした。

私も、「脳じゃないでしょうか」と受診してるのだから、質問だけで終わらずCTを撮るべきだったのではないかなと少し思ってるし、医師自身もそう思ったから謝罪しに来たのでしょうし、今後こういう患者さんが減りますように…。

その後、10月末頃には「緩和ケア病棟」へ移ってもらうことになるという話を聞いたんですが、移る前の10月26日に亡くなりました。

26日の朝、兄から「夜中に自力での呼吸が難しくなったので酸素マスクを装着したと連絡があった。今夜がヤマらしい」と電話。

夜7時すぎ、子供たちも連れて病院へ。

午後9時前、苦しそうでずっと目を瞑っていた父が突然パッと目を見開き、みんなビックリしていたら母が「お迎えに来たのかもしれんね」と言い、病院に集まっていた私や兄弟の子供たちが一斉に天井を見上げたのがチョット面白くてみんなフッと笑いました。

おそらく9時10分すぎに呼吸停止。

心電図の状態でわかったのか、隣のナースステーションから看護師さんが様子を見に来て、ウンウンという感じで頷いたあと「先生を呼んできますね。耳の機能が停止するのは1番最後と言われているので呼び掛けてあげて下さい。聞こえてますよ」と言って出て行きました。

ああ、ホントに亡くなったのか…と思いつつ、みんなで「ありがとう」とか「お疲れさま」と呼び掛け。

その後、医師により臨終確認。午後9時18分。ほぼ1日苦しんだけど、最期は穏やかでした。

すぐに「葬儀屋さんは決まってますか」という質問を受けるので、悲しみに浸ってる時間がない感じ。

ロビーまで降りて行って葬儀の手配やら親戚への連絡やら…大変。

子供たちは「迎えに来たの、どんな人か見えた?」とか「迎えに来てもらわないと行けないところなのか?」という話し合いをしてるし( ̄ー ̄;

四十九日も終わり、これで母も少しはホッと出来るのでは…。

しばらく淋しいでしょうけど、元気に前向きに生きて行かないといけませんね。

喪中ハガキって、亡くなったことを知らせるものではなく、新年のご挨拶が出来なくて申し訳ございませんというお詫びなので、亡くなったことを知ってる人に出しても問題ないんですよ~

なのに母は「知ってるんだからわざわざ出さなくてもいいのっ!」と兄嫁に激ギレしてたそうです…十分元気かも( ̄▽ ̄;

あ、母と兄嫁は仲悪くないですよ~、とても仲良しです( ̄▽ ̄;

12月 18, 2015 日記・コラム・つぶやき |

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